#3 枯花の余映

 一日を生き延びることにも困窮する中でどうにか育て上げた野菜は到底立派とは言えない貧相なものだ。それでもこの時勢、平民にとっては食糧自体が大層貴重なもので、貨幣にならずとも物々交換により麦や粟といった穀物に変わることがごく稀にある。今日もそうした幸運がないものか。阿弥陀丸と共に数人の子どもたちを引き連れ、町――今となっては村と言って差し支えないほど廃れた集落――に訪れたいとは期待を抱いていた。
「……人、少ねえな」
 辺りを見渡して一言、阿弥陀丸は不服そうに眉を顰めた。
「どうしてこんなにしずかなの?」
「……なにかあったのでしょうか」
 静寂さにえも言われぬ不安を抱いた幼き少女は、隣に立ついとの袖を緩やかに引いた。きょろきょろと心細さを誤魔化すように辺りを伺う弟妹たちを見て、いとの抱いていたささやかな望みは跡形もなく消え去る。これまでにも人の集まりが悪いことはあったが、そうしたときには子どもたちの声が響き渡り、様子を見に来る者たちがいた。しかし、今日はそうした気配を一切感じられない。食糧を目にして寄ってくる町人の姿どころか、道中を歩く者すらいない。物々交換でなく、子どもが相手であっても物を乞う、飢えに苦しむ者さえ現れないのだから事態は深刻だろう。
 記憶よりも空虚さを感じさせる景色。建物すら減ったのでは、と見間違うほどの閑散さは、晴れ晴れとした青空とは不釣り合いで心の冷えが増していく一方だ。
「とにかく、人を探しましょう。何があったのか話を聞きたいですし」
「そうだな、手分けして家を訪ねるか。でも、絶対にこの通りからは外れるなよ。家の中にも入るな。見失うと困るからな」
「はい。気をつけます」
 こうした事態は珍しくない。なぜこのような状況になっているのか、なぜ町が廃れてしまうのか。この場にいる幼子たちにもわかること。それが原因で彼らは今、共に過ごすことになったのだから。
 それでもなお、生き残りの町人を探して状況を確認することは、今後のために必要な行動なのだ。

「やっぱり、また盗賊がやりやがったんだな……」
 阿弥陀丸の苦々しい声だけが響く。
 想像通り、盗賊の襲来に遭った町はおおよそ壊滅状態だった。元から朽ち欠けた家屋が多く、時折死臭が紛れ込む町の中では一見しての判断は難しいものだったが、改めて探れば真新しい死体が散見され、生活感の滲む家屋が荒らされた様子が目に留まるというもの。
 盗賊らの目をかいくぐって生き延びた人間も幾人かいたけれど、怯えきった様子で家の片隅に隠れ潜むのも当然だった。心配そうに語りかける子どもたちにすら体を震わせ、警戒の目を向ける。近付くことは出来ず、そうした町人の様子に怖がって阿弥陀丸やいとに泣きつく子すらいたほどだ。
「もう帰ろう? さっき、おれらの大根をとって行こうとしたやつがいたんだ。そういうやつはみんな、目がギラギラしててこわいよ」
「えっ! 大根とられちゃったの?」
「ううん、阿弥陀丸にーちゃんがおっぱらってくれた!」
 怯えと不安から一転、「かっこよかったんだぜ!」と、己の武勇伝を語るかの如く声を弾ませる少年に安堵を抱いた。
「オレたちも、恵んでやれるほど余裕はないからな」
「……そうですね」
 ふと、すでに絶命している親子――赤子を抱えた母親が視界の端に入り、顔を背けた。常に死と隣り合わせだ。無慈悲になにもかもを奪っていく盗賊たち。生命力が枯れ果てていく終わりのない飢え。自分たちが生きていく上で、盗賊を憎むが故に奪う行為は絶対にしないと決めているけれど、出会う人々全てを助けられるほど、力も余裕もないことが口惜しい。
「どうにかお話してくれた方も、ここにはもう何もありはしない、と」
「だろうな……。ここにいても狙われるだけだ。野菜以外のものは諦めて帰ろうぜ」
 誰からともなく町外れに向かって歩み出す。訪れた時となにひとつ変化のないままに。
「せめて、またこの町に……」
 いとの呟きが空気に溶けると同時に、僅かな生命線をことさら大事に抱え直した。自分たちの命綱はこれしかない。しかし、ただ野菜さえあればどうとでもなるわけでもない。生き永らえるためには食糧はなによりも貴重な代物だが、それだけで生活は立ち行かないのだ。冬の訪れが近づけば、なおのこと。
 盗賊による虐殺や略奪が問題であることは当然として、人が少なくなればなるほど、物々交換といった交渉や協力が難しくなる。別の集落に向かうとなれば移動距離は長くなり、阿弥陀丸や喪助はともかく子どもたちには荷が重い。故に、それが可能性の低いこととしても、やはり期待を捨て去れずにいる。
 その期待が現実になったのは、皆が一様に重い足で町を出ようとしたその時だ。
「なんてこった! またこの有様か」
 ううむ、という唸り声が聞こえた方向を見やる。木製の大きな背負子を担いだ男が数人、先程の阿弥陀丸たちと同じように町の様子をざっと見渡している。困惑が疲労を後押ししたのか、路傍で背負子を下ろして座り込み項垂れる者も。
「もしかして……!」
 子どもたちが目を輝かせ、我先にと彼らのもとへ走っていく。その様相は正に、いとが「この町に訪れてくれれば」と願わずにいられなかった、連雀(れんじゃく)商人の集団に見受けられた。
「おっちゃん、行商だろ? 大根いかがですか!」
「うおっ!? なんだぁ、こんなに人がいるじゃねえか」
 子どもたちを視界に捉えた行商の男たちは口々に「おお良かった」などと安堵を示すようでいて、表情に戸惑いが漏れ出ていた。本来、彼らが相手取る大人の姿が見受けられないのだから当然のことだが。
「……オレたちはこの町に住んでるわけじゃない。山の方から野菜を売りに来てたんだ」
「なに?」
 子どもたちの前に一歩進み出た阿弥陀丸へと注目が集まる。この場に喪助がいないため阿弥陀丸が一番の年長であり、唯一大人の枠に数えられる年齢に達している。子どもたちの盾になるかの如く立ちはだかった阿弥陀丸からは相応の迫力すら感じるだろう。当然、行商の男たちもあからさまに彼を見くびることはなく、阿弥陀丸の話に耳を傾ける姿勢を見せた。
「やはり野盗に襲われたか……。見るからにそうだとは思ったんだ」
 知り得たばかりの、この町の惨状をかいつまんで説明しての彼らの応えは大きなため息だった。
 ここまで来たのは無駄足だったと言わんばかりだが、こちらにとっては僥倖である。町の惨状については遺憾である。しかし、元々の目的が果たせるかもしれないのだから。
 数歩分の距離を置いて子どもたちを抑えていたいとの抱える野菜を示すべく、阿弥陀丸が彼女を呼ぼうとした。が、それを遮ったのは痺れを切らした子どもたちの声だ。
「なあおっちゃん! 野菜買ってくれよー!」
「かってくれー」
 子どもたちは自らの小さな手にすら収まってしまう大根や山芋を掲げ、阿弥陀丸と相対する男を取り囲んだ。
「おいおい、なんだってんだ!」
「お前ら、落ち着け。そんなんじゃ話ができねえ!」
「そ、そうです。阿弥陀丸様の言う通りです。私たちはお願いすべきであって、困らせてはいけません」
「なに? 阿弥陀丸?」
 子どもたちを抑えようと阿弥陀丸の傍に寄ったいとの声と同時に、路傍に座り込んで我関せずと過ごしていた男らも含めた数人がこちらに目を向けた。
 いとは少々いたたまれなさそうに身を竦め、己の名にこれほどの反応を示されると思いもしなかった阿弥陀丸は眉を潜めて男の出方を待つ。
「ふむ……よし、野菜については考えてやる。アンタ、阿弥陀丸と呼ばれたな?」
「ああ。オレが阿弥陀丸だが、なんだ?」
「アンタの名を連雀(れんじゃく)仲間から聞いて覚えていた。阿弥陀如来(あみだにょらい)と揃いの名ってぇのは縁起がいいからな。なんでも、随分と腕が立つんだって?」
 どうやら悪い話ではないらしい。
 そうとわかった阿弥陀丸は、警戒を解いてニッと強気な笑みを浮かべると「まあな」と一言返した。
「まだこの辺りに野盗が潜んでいる可能性があるならワシらは用心したい。阿弥陀丸さんよ、アンタがホントに噂の〝阿弥陀丸〟なら、次の町に行くまで護衛としてワシら連雀を守ってくれんか」
 これは運が巡ってきたと言っても過言ではない。最後まで聞き終わる前に、阿弥陀丸の顔には喜びの色が滲み出る。
「護衛の報酬は働きに応じて決めさせてもらうが、引き受けるなら野菜を買ってやろう」
「っそりゃ願ってもない話だ! いくらでも任されてやる!」
 思わぬ巡り合わせにやる気に溢れた姿勢を見せる。行商の男は満足そうに頷き、そうと決まれば! と、足元に置いた背負子の荷を解き、連雀と呼ばれる木枠に収められた商売道具を広げ始めた。仲間である他の男たちに確認をとることがないあたり、この男はこの集団の頭なのだろう。
 元々の目的が達成されることはもちろん、自らの実力が巷に広まり認められていることに阿弥陀丸の表情からは嬉々とした様子が伝わってくる。子どもたちも、阿弥陀丸といとの様子から良いことが起きていることはよくわかるようで、先程までの鬱屈とした雰囲気は消え去っていた。
「いと、持ってきた野菜は全部でいくつだ?」
「いと?」
 上機嫌でいとに問いかけた阿弥陀丸だったが、次はいとの名に反応を示される番だった。いとが応える前に、名を復唱した 
男を振り返る。先程とは異なる点は、いとに目を向けているのがただ一人の初老の男ということ。
「ああいや、すまないね。知り合いの娘に同じ名前がいたからつい反応しちまっただけだよ」
 気にしないでおくれ。と言う割には、随分といとを注視するものだ。溢れる喜びはどこへやら、阿弥陀丸は訝しげに眉を寄せ、いとに一歩身を寄せる。いともいくらか居心地の悪さを感じたが、こうしたときのためにも阿弥陀丸がいるのだ。気を取り直して、商談に応えてくれた男に対して持参した大根と、牛蒡(ごぼう)と、里芋の数を知らせた。

 護衛の件がトントン拍子で決まったことに商人頭が気分を良くしたのか、子どもたちの聞き分けが良かったおかげか、野菜の対価は随分と大盤振る舞いをしてくれたように思う。護衛報酬から差し引かれる可能性は大いにあるが、事前に提供する豪胆さに感服というものだ。
 少々使い古されてはいるが、作りがしっかりしている茣蓙(ござ)が一枚、一尺ほどの麻布、そして粟を少々。野菜の出来を考えれば、なんと太っ腹なことか。いずれ訪れる冬越への備えとなるだろう。
「日が高いうちにすぐに戻るので、子どもたちを住処に送り届けることだけ許してほしい」
 商人頭に断りを入れると、いちばんの若手である男が同行することを条件とされた。口ぶりからして商人頭の息子のようだ。念の為の見張り、などとは言われたが、「噂になるほど腕の立つ阿弥陀丸について話を聞きたい」という理由も顕わにされたので不満の声は挙がらなかった。
 さあ帰ろう。想定外の成果物のおかげで皆が一様に高揚した気分で帰路に着こうとしたときだ。
「お嬢ちゃん」
 路傍で座り込んでいた男が一人、手招きをしていた。阿弥陀丸が口にした「いと」に反応を示した初老の男で、彼の目線がいとに向けられていることはすぐにわかった。
「私でしょうか」
「ああ、アンタだ。ちょいと待ちな」
 呼び止められたところを無視する選択肢もなく素直に歩み寄る。数歩遅れて阿弥陀丸が後ろに立つものだから、いとが不安に駆られることはない。
 男は足元の、荷が解かれた連雀の中を探る時間を置いて、その中からひとつの品物を取り出した。
「ほれ、これをやろう」
 細く削られた竹の棒の先端に、鮮やかな青の和紙で作られた羽根車が取り付けられている。差し出されたと同時に緩やかな風に吹かれて、からからと回り始めた。流麗な線が描かれているかのように染められた和紙の羽根が回転し、綺麗な円を形作っていた。
「……かざぐるま?」
「道中で足を引っ掛けてなぁ。荷物をぶつけたときに傷がついちまった。売り物にはならんが、見た通り壊れちゃいない」
「売り物にならないだなんて。とても綺麗です」
「このご時世、こういったモンを買ってくださる貴族様はホントに良いものしか受け取っちゃくれないんだよ」
 そういうものなのだろうか。差し出された青空と同じ色の風車をじっと見つめる。遠くかけ離れた、このような時代でも裕福な日々を過ごす貴族のことなど何もわかりはしない。しかし、そんな存在と接点のある行商人が言うのであれば、きっとそのとおりなのだろう。
「さっき不安にさせちまったのも悪くてな」
 とはいえ、あまり気乗りはしない。こちらにはすでに差し出せるものはなく、施しを受けることとなる。どうしようか、困惑を顔に浮かべたいとは阿弥陀丸をちらりと見上げる
「……そういうことなら、いいんじゃねぇか?」
 阿弥陀丸自身、言葉ひとつですべてを信じるわけではないが、根拠のない疑いで拒絶することを彼女に強いたくもなかった。
「では……、かたじけのうございます」
 阿弥陀丸の後押しもあり、いとは両手を前に、差し出された風車の持ち手に触れて受け取る。
「腹の足しにゃあならんがな。知り合いの娘と同じ名前ってのもなにかの縁。それでちびどもと遊んでやんなよ」
 男の気遣いを思うと、つい怪訝な目を向けてしまったことが申し訳なくなり、感謝と謝罪を込めた一礼を示した。 

「それ、どうしたんだ?」
 町の状況と行商人との経緯について、喪助への報告が一段落つこうとした時。喪助は子どもたちの騒ぐ声が一段と盛り上がっている原因に気付いた。
「これ!? 行商のおっちゃんがくれたんだ! 売り物にならないやつだからって、いとねーちゃんに」
 共に町に行った子どもたちだけでなく、喪助と廃寺に残っていた子どもたちも皆が興奮した面持ちで風車を見つめている。少年が喪助に見せつけるように風車を掲げると彼らの目も一斉にそちらを向くものだから、喪助といとは揃って吹き出した。
「いとがもらったモンなのにお前らが遊んでんのか。まあ、よかったな、いと」
「はい! お優しい方たちだったと思います。阿弥陀丸様もまともな仕事だ、と気合が入ってましたし」
 廃寺に帰り着き、阿弥陀丸は約束通り即座に町へと引き返していった。条件として同行した若者と話が弾んでいたので見送りにも大きな心配を抱えることはなく、晴れやかな気分だ。
「なんで回るんだろ?」
「なんで回ると丸くなるんだ?」
「きれ〰〰!」
 玩具といえば道端に落ちている石や草花、枯れ枝といったものしか手にしたことのない子どもたちには宝を手に入れたも同然だ。物を丁重に扱うことなど不慣れな中、壊れ物に触れるようにそっと持ち手を包む小さな手。持ち手の先では、まるで花を連想させる羽根車が風に乗って軽快に回り続けている。
 売り物にならない、と判断するには早計と言わざるを得ないほど、立派な代物に見える。商人の目にしかわからない欠損が存在したのだろうし、詫びの意味もあったようだが、それでも無償とは。
 子どもしかいない集団を相手に対する同情もあったのかもしれない。だとしても、このような世で子どもたちが少しでも救われる日々を過ごせるならば、同情などいくらでも受けよう。
 それに――。
「次、いとねーちゃんの番!」
 じっと風車を見つめていたせいだ。
 風車を取り合っていた子どもたちが、眩しい青空色で飾られた風車を差し出してきた。そんなつもりではなかったのだが、断るのも野暮というもの。
「……じゃあ、」
 届くか届かないか、ふう、と弱々しい息を吹きかけた。回る風車の軽快さに目が奪われると同時に懐かしさが蘇る。
 昔、同じように風車で遊んだことがある……という感覚だけがあった。それは喪助と阿弥陀丸によって助けられ、この廃寺にやってくる前のこと。物心ついて間もない遠い過去の記憶は、こんなこともあった気がする、という程度のおぼろげなものだけれど。
「次オレやりたい!」
「あっ、ずるい! 次はあたしだってば!」
 風車を手にするいとを挟んで、少年少女の睨み合いが始まる。ふたりの勢いに乗じ、我先に! と騒ぎ出す空気を察すると、いつもそうであるように喪助が止めに割って入る。
「おまえら、喧嘩するなら没収だからな」
 喪助による鶴の一声に、起因となった少年は不満げに口をへの字に曲げたが、すぐにその口元はにやりと変化する。
「そんなこと言ってさ。喪助にーちゃんも遊びたいならそう言えばいいのに」
「ほ〰〰? おまえ、生意気言うようになったじゃねえか!」
「っぎゃはははは! ごめん、ごめんってば〰〰!」
 冗談交じりに茶化した少年は容易く喪助に捕まり、これでもかとくすぐられ始める。どたばたと暴れながら楽しげに戯れる姿に、皆が揃って境内に笑い声を響き渡らせた。

   からから からから

 風車(かざぐるま)が回る音が重なり、馴染むように。

#3 枯花の余映