#1 景風を食む

 体に残る痕が消え去る前に新たな傷が刻まれる。怪我を負わぬ日はないほどにそれは日常的な出来事だ。
 阿弥陀丸は今しがた、貴重な食糧を奪いに来た盗賊を返り討ちにしたばかり。切り傷から血を吸い出すのも随分と慣れたもので、体に残された傷の数々はどれほどの戦いを積み重ねているかを物語っている。
 廃れ朽ちかけている寺院の成れの果て。どうにか形が保たれている扉の傍に座り込む小さな影がもぞりと動く。すでに日が暮れかけて暗い影が落ちた姿はよく見えないが、それが誰であるか阿弥陀丸には大体の検討がついていた。
「あみだまるさまっ!」
「うおっ! あのなぁ、いと、外にいたら寒いだろ。中に入ってろよ」
 阿弥陀丸が帰ってきたことを察した小さな影は確かに予想通りの人物だったが、己に縋りついてくる少女の勢いに一歩後ずさる。おかまいなしに阿弥陀丸の足元にしがみついた少女を見下ろしてため息を一つ。体を引きずることもいつものことだと飲み込んで扉を開けると、中で焚いている火がふたりをぼんやりと淡く照らした。
 ほら。そう口にして中に入るよう促すと大きな瞳がこちらを見上げてくる。火に照らされたせいで腕にある真新しい傷に気付いたのだろう。眉尻をへにょりと下げたいとは阿弥陀丸の着物の裾をより強く握り込んだ。
「けが、しました?」
「あ、ああ……こんなのどーってことねえよ!」
 取り繕うとするものの、時すでに遅し。いとの瞳には厚い涙の膜が張られ潤んでいる。例えこれが血の滴る切り傷であろうと、大した痛みを伴わない擦り傷であろうと、いとにとっては関係ない。いとはいつだって、阿弥陀丸が体を傷つける痛みに涙を溢れさせるのだから悩ましい。大丈夫だ。気休めにもならない言葉をかけつつ、屋根を失い夜空を半分覗かせている屋内へ小さな背を押し込むように体を滑り込ませた。
「よお。早かったじゃねーか」
 ふたりを出迎える喪助の声は明るく、それに続くようにふたりの帰りを労う子供たちの声が重なっていく。皆が変わらず笑っている姿に阿弥陀丸は充足感でいっぱいになり、いとの手を引いたまま喪助の傍に歩みを寄せ、堂々と胸を張った。
「まあな! アイツら、もう二度と畑には近付くことはないだろーぜ」
「そりゃありがてえこった。畑がやられちゃ、ただでさえ足りねえメシに困るってモンだ」
 皆に振る舞う夕餉は今日も鍋。具など入っていないに等しい、ほんの少しのやせ細った野菜を煮詰めた汁でしかなく、それでも野菜が入っているだけで自分たちにとっては十分なご馳走だった。
「いと、泣いてないで手当てしてやれ」
 喪助は鍋の中身をかき混ぜる手を止めることはなかったが、阿弥陀丸らを一瞥すると呆れた声色をいとに投げかける。すると、いとは瞳いっぱいに涙を溢れさせながらも力強くうなずくのだ。
 
   *
 
 小さな手のひらは、決して器用な動きを見せはしない。阿弥陀丸の傷を気遣って、どこか遠慮がちにも見える。もどかしく、気が気でなく、いとの指先を目で追っている。
「あみだまるさま、いたい……?」
「~~っな、泣くな! 大丈夫だって言ってるだろ!」


 びくり。いとの肩が一瞬跳ねたことに阿弥陀丸は慌てて口を噤んだ。怖がらせるつもりはないし、いとが阿弥陀丸に怯えることはないとわかっている。それでも少し、悪いことをしているような気分になってしまう。
「いとも、わかってます。あみだまるさまはつよいから、だいじょうぶだって」
 阿弥陀丸にとって、いとも他の子どもたちも、皆が守る対象だ。決していとだけが特別ではないけれど、小さな体躯で一所懸命に気負う姿からどうにも目が離せない。
「っそうだ。オレは強いからこんなの平気なんだよ」
 いとから感じる健気さを阿弥陀丸が上手く受け止められずにいる状況に直面するたび、自分の至らなさを痛感する。なにしろ「様」付けで呼ばれること自体慣れていない阿弥陀丸は、いとに名を呼ばれるたびにどきりと胸が跳ねる思いだ。孤児が寄り集まったこの場所にやってくる前のいとはこの時代では随分と恵まれた、大店の娘だった。鍛冶屋の息子である喪助は顔を合わせたことがあったようで、盗賊の手によって両親を失い、燃え朽ち果てた家の前でひとりぽつんと立ち尽くして泣き続けるいとを共に見つけたのだ。
 此処で身を寄せ合い日々を生き抜いている子供たちは片手で数えるには到底足りない。その子供たちは誰もが無垢さを失うことなく、笑い、喜び、泣き、嘆き、思うままに素直に過ごしている。そんな子供たちの中に溶け込んでいるようで、いとはどこか異質でもあった。元々の育ちの違いなのか、同年代の子らと比べると、言葉遣いも相まって妙に大人びて見えるのだ。それなのに、いつだって静かに降り出す雨のように涙を流すものだから、その矛盾が阿弥陀丸の心に疑問を抱かせる。
 阿弥陀丸がほんの少しだけ、いとのことが苦手だと感じる理由があるとするならば、そういったところにあるのかもしれない。決して嫌いではない。自分の後を必死に追いかけてくる姿は愛らしく、喜ばせて笑顔を咲かせたい。けれども扱いに困ることがあるのも確かで、自分はいつもいとを悲しませているのではないかと感じていたたまれないのだ。
「オレは平気だから、泣くな」
「うん、ん……」
 わかっているのかいないのか、何度も頷きはするがいとの瞳は潤むばかり。頬を伝う涙が落ち着く様子は見えない。いとが自分を困らせるために涙を流しているわけがないとわかっている。わかっているからこそ、阿弥陀丸はどうにも居心地が悪い。そうして今日もまた、少女を慰める言葉が上手く出てこない阿弥陀丸は助けを求めるように喪助へと視線を向けるのだ。
「てめーもいい加減慣れろよな。なぁ、阿弥陀丸」
 まるでそうなることがわかっていたように、喪助はわざとらしく片眉を吊り上げて大げさにため息をついた。言われなくてもわかってる、とでも言いたげに眉を寄せた阿弥陀丸だったが、それを口にすることはなかった。
「おい、いと! 終わったんならこっち手伝え」
 喪助の声に釣られるようにいとの目が別へと移ったことを確認した阿弥陀丸は、つい胸を撫で下ろした。これでひとまず、いとの涙は落ち着くことだろう。
 包帯代わりの布キレを巻かれた腕を見やる。たどたどしい手つきで巻かれたそれは決して誰かの見本になるような大層な代物ではないけれど、丁寧な処置が施されていることは一目でわかる。燃え尽きた煤のにおいが充満する跡地から手を引いて、この場に連れてきたその時が始まりだっただろうか。いとは瞬く間に阿弥陀丸に懐き、それは悪い心地ではなく、じんわりと胸が熱くなるような感覚にむず痒くなる。
 嫌ではない。喪助が自分のために刀を打ってくれるときのわくわくと湧き上がる感情に少しだけ似ているように思う。それはつまり、自分は嬉しいと感じている。ただ、そのどこからともなく湧き上がる感情をいとにどうぶつけたらいいのか、それだけがわからずに阿弥陀丸は困ったように眉根を寄せた。なにせ相手は自分よりも幾分も小さくか弱い、幼い女の子なのだから。
「あみだまるさま、ごはんだよ」
 いとの小さく頼りない両手が支えている椀はひびが入り、今にも割れてしまいそうなほどにいびつだ。それでも少女は大層大事なものを抱えているかのように差し出してくる。感謝の意味も込めていとの頭を二度三度と撫でると、いとは嬉しそうに目を細めて頬を赤く染め上げる。
 つい先程まで、ぼたぼたと大粒の涙で着物を濡らしていた姿からは想像もつかない、にこにこと嬉しそうな笑顔でこちらを見上げる表情に頬がほころんだ。
「おいしいね」
「ああ、美味いな」
 ここで過ごす子供たちは、阿弥陀丸にとって――阿弥陀丸と喪助にとって、ひとり残らず守るべき存在だ。誰のことも見捨てはしないし、比較することもない。誰一人として、その思いは何も変わりはしない。刀を託してくれた喪助が信じた想いに応えるように、全員を守ると決めたのだ。
 だから隣で笑ういとも、自分の力で守りたいと思う大切な仲間のひとりに違いない。

#1 景風を食む